ことビルオープニング企画トーク(3)
前回はこちら
https://nishiogi.org/opening02/
ことビルのオープニングイベントとして、9月19日(日)に、まちづくりや都市計画の專門家である饗庭伸さん、中島直人さんをお招きして、「西荻のこと、まちのこと、これからのこと」と題してトークイベントを行いました。メルマガではその様子を4回にわたってご報告します。今回はその3回目、中島直人さんによるレクチャーです。
国重:休憩を挟まなくて恐縮ですけれども、続きまして中島先生の方からレクチャーいただきたいと思います。お願いいたします。
中島:中島です。よろしくお願いします。
では、私の方から話題提供ということになります。ことビルのオープニングイベントということで、ことビルについてお話をするのかな、と思っていたんですが、今回のお悩み事のメールをいただきまして、これはちょっと違うぞと思ってですね、若干、急遽変えたところがあるので、全体のプレゼンとしては、わかりにくいかもしれませんけれども、ご了承ください。
タイトル「outlook tower」なんですが、あとで説明します。
よく考えるとあんまりいらないのかなとも思うんですが自己紹介。一つ大事なことは、一番左にあるのは、桃井第四小学校50周年記念誌。昭和57年が五十周年だと思いますけれども、ちょうど私が小学校に入った前の年に50周年の記念行事があって、こういう記念本が出ました。この記念本の中に、西荻の駅の昔の写真はなかった気がしますけれども、昔の小学校の姿とか、井草八幡宮の前はこんなだったとかが載っていて、街というのは、時間を持っているということに、小学一年生の時に衝撃を受けました。まあ、そこが出発点だということで、この街からいろんなことを学びました。
実は、私の研究者としての最初の論文も善福寺についての論文ですので、そういう意味では本当に、この西荻というか杉並のこのあたりの街で、私という人間ができあがってきたということです。この話は、今日の最後に回収したいと思うんですけれども、一応話をしておきます。
一番右の額縁に入れているのは、陸軍の分析地図、1880年の中央線ができる前のこの地域の姿です。これどこに飾っているかというと、私の家のトイレに飾ってあって、私が便器に座ってるとここにある(向かい側)にあるという。毎日これを見ています。そして、今日もこの地図でことビルはどこにあるのかな、みたいなことを考えていました。このスライドの三つの点の一つは私の家、もう一つは西荻窪駅、そしてもう一つがこのことビルです。。
この神明通りは、井荻村というより井荻町のちょうど町境で、その下が五日市街道のいわゆる短冊状の畑・田んぼになります。もうこの時期からずっと、境目としてあって、そういう意味では、西荻で最も古い道にこの建物がある、そこにこういう場所ができるというのはとても素敵なことだな、と。今日の朝……ちょっと汚い話ですけども、トイレに入りながら思っていたことです。
宣伝が入ってしまって申し訳ないんですが、今度、新書で『アーバニスト』っていう本を出します。本当はこのアーバニストの話をちょっとしようかなと思っていたんですね。これはさっきの饗庭さんのでいくと、「ネットワーク」っていう、一番下にあった緩やかなもの。ネットワークは、ネットワークとしては点線なんだけど、あれは個人が大事なんですよね。その個人のことを私は「アーバニスト」と呼んでいて、どういう人たちがそういうネットワークを形成しているんだろうかっていうのを、歴史も踏まえて書いた本です。
今、皆さんの関心があるのはその次のステップだということなので、ちょっとここは今日、先ほど言った方向転換をするところはありますが、自己紹介としては出しておきます。
道路拡幅の話で行くと、今日、私自身の取り組みは最後の方に少しお話ししますが、あまりメインではないんですね。一つは富士吉田。これは奥秋さんの故郷だと聞いておりますけれども、富士吉田で道路拡幅をする場所において、その道路拡幅でなくなる古い郵便局を地元の方にお借りして、リノベーションをして、拠点としてそこでまさに、道路拡幅に関する展示会をやろうとしているという状況です。
ただここは、先ほどの饗庭さんのお話でよくわかったんですけど、いわゆる普通の通常の街づくりというか、なかなか地域の方が道路拡幅に関して関心を持たないというかですね、まあしょうがないみたいな、じゃあどっか行ききますみたいな感じになってしまうという状況です。四年間くらいやっていたんですけど、なかなか難しかった。西荻とは、ちょっと違うのかなっていうので、今日ちょっとあんまりお話しないかな、と思ったんですが。
ただ、この拠点の話で言うと、おそらくこれから道路拡幅の中で、いくつかその先に空いている建物とか、将来取り壊すけどちょっとしばらく置いといてみたいな建物も、結構使うっていうのもありなのかもしれないと思います。
右の方の「いけ×まちミーティング第3回」は、今定期的に研究室でやっていることですが、これ上野の不忍通りをまさにウォーカブルに変えていこうということを、地域の方々とやっている話なんです。これは、先程のこと研の方のお話の最初にあったですね、「ほこみち」というか、その辺の話とちょっと関係してきますので、少し最後の方でお話をしようかと思っております。これがバックグラウンドです。
私がことビルのことを聞いた時に最初に思い浮かんだのは、今から140年前にエジンバラの丘の上にある建物を、当時リノベーションしてつくった都市観測研究所。これを「アウトルックタワー」と言うんですけども、そのことが浮かびました。なにか、似てると思いました。……やっぱり似てないかもしれないけど、垂直に向かっていくあの感じですかね、上に屋上があるっていうのが大事だと思いました。この話をなんでするのかというと、街づくりのこういう拠点というのはいつ頃からあるんだろうかって話なんですよ。原点のひとつはおそらく、このアウトルックタワーにあるんじゃないかなと思っています。
これ、パトリック・ゲデスっていう人が作ったものです。パトリック・ゲデスは、この真ん中にある『進化する都市』という本の著者。2015年に翻訳の復刻が出ましたので、今でも本屋さんに行けば手に入ると思うんですけど、都市計画の中では古典ですね。エネベザー・ハワードという人の田園都市の話がありますけども、位置づけとしては、それと同じぐらい都市計画において重要な本です。ゲデスはちょっと変わった経歴の人で、建築が専門ではなく、もともと生物学者であり、植物学者、教育学者です。進化論にかなり影響を受けながら、都市というものをちゃんと進化していくもの、生き物として見て、それを把握して都市計画をやるんだということを考えた人なんです。
彼の言葉の大事なところが、この右にちょっと小さい字で書いてありますけども、都市計画をお医者さんとして見立てたときに、都市そのものをちゃんと診断してから、治療法を考えるべきなのに、都市計画って全然診断しないですぐに処方したがる。当時まだできたばかりの都市計画ですけども、初めから持っている治療法みたいなのを、ただ押し付けてしまうという側面がある、あったと。そうじゃなくて、治療の万能薬の前にもうちょっと、診断に値することをやるべきだというのが、彼の大きな主張だったわけです。
西荻の道路拡幅もそうなんですけど、ああいうものって、思いつきでやっているわけじゃないわけですよね。その前提に、調査をして、データを積み重ねてみたいなことがある。いわゆる、そういう都市計画の基本的な形は、ゲデスの影響がかなり強いです。
それ以前は、もっと芸術的な、アートとしての都市計画だったので、調査というよりは「絵」だったわけですね。そこら辺がまた今、市民として受け取るときに、なかなか難しいというか、データをガーッと示されるとですね、まあそんなもんかなと思ってしまうところでもあるんですが。
ただ、パトリック・ゲデスの偉かったところは、その調査っていうのは、誰が、どういうふうにやって、共有すべきなのかって時に、やっぱりそれはまずは、市民が共有しないといけないんだ、ということを明確に謳ったということ。調査自体も市民がそれを司る、というか市民がやっていくのであるという、そういうような発想を強く持っていた。
最初に申し上げた「アウトルックタワー」は、その思想をある種体現したものでもあるんです。ちょっと分かりにくいんですけど、中身は五階建てで、上にカメラ・オブスキュラって、当時のいわゆるカメラなんですけど、今あるようなカメラではなくて、上から光を入れて、そこの下に写すという、そういうカメラの装置があった。それが一番上なんですよ。その下は部屋になっていて、一番上の階にはエジンバラって書いてますけど、エジンバラの都市についての展示、つぎはスコットランドの都市についての展示。その次は、大英帝国の都市についての展示。で、その後、海外の都市についての展示ということで、エジンバラだけじゃなく、都市とはこういうものである、ということの展示があって、それを市民が学ぶというような施設であったということです。それを、都市観察研究所と名付けて、一番上のカメラ・オブスキュラで実際に街の写真が撮れることになっている。これ140年前の話なんですけど、この時代からこういう場所があった。このことビルは、ただ単に都市観察をする場所だったり、展示をする場所ではなくて、もっとダイナミックにいろんなことが起きる場所だと思うんですけども、原点からずっと繋がっているんですね。こういう拠点の歴史があって、取り組みの経験があるので、そういうところから学ぶことがあるんじゃないかと思います。当時彼らが何を調べたかったかを考えることで、今、何ができるかがちょっと見えてくるんです。
ここにはゲデスが、こういうことを展覧会で示すべきだということが書いてあるんです。いろんな都市について、交通、産業、自然、人口とか。あとゲデスは、歴史が大事だと言っているんですよね。過去と現在で、その進化の過程を見ることで、次の未来が分かるということなので、かなり歴史の部分をしっかりやろうとかですね。最後に、その上で、ちゃんと都市計画の提案と、デザインを展示しましょう。ということを言っているわけです。
現代において通用することがかなりあるんですよね。都市を考えるときに、確かにこういう視点が大事だと思うんです。ただ、この頃にはまだ無いものがある。ということが、今日のお話の真ん中になるわけです。
皆さんにとってはもうすでにわかっている話かもしれません。現代において都市観察研究所があるとすれば、「パブリック・ライフ・サーベイ」というのがすごく大事なんじゃないかというのが一つ。この道路の第一期が事業化していて、これから第二期に進んでいくという、こういうタイミングにおいて、ビジョンを語るのももちろんすごく大事だし、ウォーカブルがとか、回遊性が、っていうことも大事なんだけれども、現状がどうなっているか、例えば、第一期の工事が行われていくと、どう変わっていくのか。実は今、まさにそれを調べる時なんじゃないかなっていうのが、今日の話です。
ヤン・ゲールのパブリックライフサーベイ
それが、「パブリック・ライフ・サーベイ」なんですけれども、ご存知のように、ヤン・ゲールっていう方は、デンマークのコペンハーゲンの都市デザイナー、もともとずっと大学にいた研究者ですけども、彼はずっとパブリック・スペースに対してパブリック・ライフをちゃんと見なきゃいけないっていうことを、言ってきた人です。
彼の重要な著作に、『建物と建物の間のアクティビティ』という本があります。建物そのものじゃなくて、その間にある屋外の空間で、人々は何やっているのか。そのことを彼は「パブリック・ライフ」と呼ぶんです。そこを見なきゃいけないんだけど、空間に対して人々の活動である「パブリック・ライフ」って、非常に捉えがたい。やっぱり動いちゃうし、固定されてないものだから定規で測るわけにはいかない。でも、それをしっかりと捉えましょう、ということを40年ぐらいやってきた人です。本は読んだことある方もいらっしゃると思うんですけど、具体的に彼を支えていた手法が、「パブリック・ライフ」の調査ということになるわけです。
どんなことをやっているか。世界中でいろんなところでやっています。バンクーバーだったり……これはCOVID-19の後に、複数の都市で、公園とかを決めて、人々がそこで何をしているかを同じ手法で調べた。彼のやっているパブリック・スペース&パブリック・ライフ・サーベイというのは、そんなに難しい話ではなくて、右上の写真にあるように、人が何やっているかを、まさに観察するという、そのことをすべての基本としてやる調査だったわけです。
大事なのは、専門家同士が、先ほどのアリーナでも何でもいいんですけど、議論するときに、どうあるべきだろうっていう話になると、それは当然それぞれの想いがあって信念があるんだけれども、やっぱりその前提として、そもそも今、人々がどういう風にまちを使っているか、ということのデータが政策議論のプラットフォームになるっていうそのことと、あともう一つは、分かりやすく、その人々の行動をビジュアライズして示すことで、やっぱり市民の方の関心を喚起する。道路が拡がる、空間が何平米になるとか何メートルになるとか、2.5mが3mとかになるということも大事なんだけども、やっぱりそこで人々の活動が、今、何が行われてて、何が変わるかというのが、実感が湧くと。そういう議論があって、彼はパブリックライフというものを、すごく重視しているんです。
いくつかの視点があるんですが、このパブリック・ライフ・サーベイっていうのは、コペンハーゲンで始まるんです。10年に一回、コペンハーゲンでやっていったんですね。で、そのことによって、変化を見るっていうことをやったということが、それだけが大事なんじゃないんですけど、加えての価値だったということになります。
都市によって、パブリック・ライフ・サーベイが、実際の具体的な都市空間の改良や改善にどういうふうに関係したか、っていうのは、都市によって違うと、彼は言っています。
コペンハーゲンでは、それなりに途中途中で、還元して行きますけども、40年かかって、大きく変わっていった。メルボルンは10年で次の政策を打った。ニューヨークの場合は、最初のサーベイをしてすぐに、ブルームバーグさんがそれを取り入れて変えた。ちょっと違う形だということです。
右側が彼のその調査のサイクルを描いている図なんですけれど。こういう調査をして終わり、とかじゃなくて、それを元に政策になり、さらにその次の調査にと、ぐるぐる行くんです。
彼自身が言っているのは、右上のところにちょっと書いてあるんですけども、会話(talks)ですね。その結果自体は出てくるんですけども、それを元に市民の人たちとtalkをするというか、会話をして行くんだって、そういうことが書いてあるんです。それを元に具体的な動きが初めに出る、そして次の動きが出てきて、それがまた循環して、またその成果を計測する。これをグルグル回していくことで、都市のマネジメントが続いていくのであるということが、彼の実際やったことを正当化していることもあるんですけれども、言っていたわけです。
パブリック・ライフ調査は、ゲール曰く、そこに市民が参加するっていうことが大事で、これが例えば、専門の調査会社がざっと調査するというようなものではなくて、誰もが実は参加できるような仕組みです。あんまり難しいことをやっていなくて、基本的にカウントとかトレースとかの調査なので、そういうものをむしろ、それ自体を運動としたら、それ自体は何かにまず反対したりとか、何かを主張するというよりも、現状を記録するという話です。
メルボルンでもゲールが調査をしたことがあります。パブリック・ライフ・サーベイって具体的に何をやっているのか。メルボルンでは今までで三回やっています。一番最初が1993年。三回とも、実は継続した担当者がいて、その人がいたのでできていることもあるんです。四回目はいつやるかわからないという状態なんですが、この三回やっている中で、三回目が2013年だったので、それを見ると、細かいことはいろいろあるんですけども、実は結構、普通なことというか、人口だったり、都市構造だったり、建物の形や用途だったり、動き、自転車とか自動車の動き、あと、パブリック・スペースというのが大事なところですけども、人々が都市の中で関係を持つ場所というものを……それは都市によって違うんですけども……それを調べる、ということをやっている。
パブリック・ライフというのは、歩行者数と滞留行動とその年齢と性別を調べてただけなんです。コストとの関係があって、ものすごいお金をかければ詳細な調査が出来るんだけど、そうじゃなくて大事なことは、いかにコストをかけずに、でも、効果的なデータをとっていくのかということが主眼になっています。
例えばその中で、これは彼らが日本に来たときにも強調していましたけれども、客観的であることと主観的なことっていうのは、今日の議論になる、というのがあります。特に客観的なデータであれば、誰が見てもできるし、逆に言うと、今だったら観察しなくてもできることがある、だからもう少し主観的なものを入れてもいいんだ、という話です。
例えば、1番左はファサードの質というクオリティの問題に踏み込んだ話で、これ低層部と上層部が違うんですけども、上層部の方をちょっと見せますけれども。ABCとあって、Aが良くて、Cが良くないっていう、価値判断がある。それが、どう街の中に分布しているか。調査員みんながA B Cを共有さえすれすればできる調査です。これを10年ごとにやっている。あるいは、メルボルンの有名な路地、お店が出てくる路地があるんですけれども、例えば、夜にそれが開いているのか、開いていないか。そういうのは観察しないとわからないことがある。そうれによって、この街が例えば、どんなふうなナイトライフ……今はちょっとコロナの中で殆どないですけども……を持っているかということを分かりやすく、はっきりと示すことができる。で、それを例えば10年ごとに調査していくと、それがどういうふうに変わっていったかが見えてくる。
メルボルンの中心部にある屋外座席を有するカフェを、1982年の最初の調査から調べているわけですけども、この20年でどう増えたかと。これも、日本の場合だとまず住宅地図があるので、用途だけだったら簡単じゃないかと思うかもしれないけども、屋外座席を出しているか出してないかっていうのは、観察しないとわからないところがある。そういったものを、記録しておいたわけです。
例えば、こんなものがパブリック・ライフ・サーベイとして行われている。先ほども、そんな上で人々の行動がどうなっているか、自動車ではなく、基本的には歩行者が、どこを何人ぐらい歩いているのか。そして、それぞれの場所で滞留行動の方も調べていて、何をやっているかっていうのが右側の図。
これのポイントは、歩行者数をすべての街路で調べるなんてことはやらないわけです。予め、あるポイントを絞って見る。だから、左の方もそうですけれども、白いところは 0ってわけじゃなくて、測ってないと思っていい。戦略的にどういう部分を街中で測れば、都市全体の、街全体の回遊性だとか、歩行者の活発な動きがとれるか。滞留行動の方も同じ。そういう調査をして、で、これを元にどういうふうに道を使っていくのかとか。どこにどういうお店を誘致していくのか、みたいなことを議論するための基本的なデータだということです。
これは、それをやっていた人にメルボルンでインタビューした時の記録です。どこ行きましたか?とか、毎日どこ歩いていますか?とか、アンケートでも人の行動って取れるんだけれども、複雑なのとコストがかかる。大事なのは、これをシンプルにやること。シンプルでも的確にやれば、非常に効果的な調査ができる。またメルボルンでは政治家や議員に対して一番効いているということは、おっしゃってました。
つまり、特に何年か経年でとると、その間に行った事業の効果みたいなものが明確に分かるんです。それは計算することもできるんですけど、もっと簡単にその変化を表して、説得力をもって示すことができる。ただ残念なことに、実はメルボルンはほとんど一般市民の参加はない、ということはおっしゃっておりました。これは市によって違うようです。
ちょっと思っていたのは、やっぱりこの西荻、今、議論をしている時に基礎となる、そもそも今回の道路が広がって歩きやすくなるとか、自転車が通りやすくなるとかあるんだけど、今、人々はどう自転車で走っているかとか、どういうふうに人々が通った時に、どういうふうな思いを持っているかとか、それはヒアリング等でも見えるとこもあるんだけども、観察することでかなり見えてくることがあるんじゃないかということです。
実際に我々の研究室でもよく、パブリック・ライフ調査というほどの都市全体でってことは、ほとんど出来てないんですけども、いくつかやはり、自分たちが関わるところでは実施しています。
先ほど、「いけ×まち」っていう、不忍通りのことをやっているってことを申し上げました。これは、そもそもの話としては、不忍池がある上野公園と、その街とが繋がってないよねっていうところからから、その間の道をつなぐっていうのを、「いけ×まち」ミーティングと呼んで、歩行者優先にしようってことで始まったんです。
繋がってないっていうのは、なんとなく実感として、みんなが思っているんだけど、それが、どう繋がってないのかというのを調べてみました。やっていること自体はすごく初歩的。カウンティングといって、あるゲートを決めて、そこで何人出た、何人入ったと測る。滞留している人たちは、スキャニングと言って、調査員の方が歩いて行って、そこに居る人の行動を調査することで……ちょっと時間差ができるんですけども、ある時間帯の人々が何をやっているかっていうのが見えてくる。
あとは、いくつかこれは数が限られますけども、実際の人々が、どこをどう歩いたか、というのを追跡していく。これ、ストーカーにならないようにやるっていうのがポイントで、ちょっと離れながら、やっていく。本当にこれはゲールが整理していることなんですけれども、学生が頑張るからできるところもあるんですが、こういった調査をやっていくことで、不忍池のどこを人が、実はこっちはちょっと赤いところに行くと結構実はつながっているけど、そうじゃないところがほとんど無いので出入口もどこの部分も人がよく出入りしてるとか、どこが出入りしないだろうみたいなことから、単に繋がっている、繋がっていない、じゃない、もう少しその街の具体的な動態というか、人がこの街をどう使っているのかというのが、少し見えてきたりする。
あと、ゲールは観察が大事だと言っていたんですけど。富山でやったのは、特に大量に人々の行動をとりたい時、ちっちゃなGPS を持ってもらって、それで何日間か取っていただいて。2週間ぐらい充電しないで大丈夫なんです。それで1週間の行動をとってもらった。ここでの問題意識としては、富山市街って「コンパクト」と言われていますけど、そのコンパクトな街をどう、その人がうまく使っているのか。例えば大学生が、大学は街中にないんですけども、大学の行き帰りとかで、街の中に寄っていくような行動が、あるのかどうか。ヒアリングすればある程度わかることだったり、アンケートも取れるかもしれないけど、それをより具体的に、どこに立ち寄って、とかっていうのを見ることで、サンプルは限られるけれども、富山の人たちが、今、どうやって街中を自分の暮らしの中で取り入れているか、時間をどう過ごしているのかっていうのが見えたりする。だから調査をやってみた、ということです。
これも誰にでもやるというのじゃなくて、真ん中を使っていそうな人。高齢者の方、若い高校生とか、そういう方に協力していただいてやったりというのをやりながら、可視化していくっていうことをやっていたわけです。
必要となるのは、衛星的な測定と観察力。観察が大事なんですけど、人間が何を考えて、どう行動するのかな、ということがあらかじめある程度想像ができると、いろんな調査の視点であるとか、そんなのが見えてくる。
西荻でも、私はこういうものがあると、今の南口開発だ、あるいは、道路の拡幅だ、ということじゃなくて、もう少し本当に西荻全体がどういう空間の質というか、街の質を持ち得るか、ということが見えるんじゃないかな、というふうに考えたわけです。
現代はゲデスが言ったように、調査が大事で、治療の前に診断というかですね、ちゃんと皆さんが言ったその通りなんだけど、やっぱり現代においては、じゃあ調査すればいいのかって話じゃないから、ここは、タクティカルな動きっていうのは大事。ぜひタクティカルないろんなアクションが西荻でも起きてくればいいなって思います。
先ほどの椅子を置くなんて話は最高にタクティカルな話でいいんですけど、いかに長期的な変化というのを見据えながらやるのか。泉山さん『タクティカル・アーバニズム』という本の編者ですけども、彼がまとめてくれています。やはり長期のビジョンというのは大事。その上で、どのようなものをということですけど。一番左の図にあるように長期の変化といっても変化を起こす要因がいろいろある。ムーブメントとか、制度化とか、主体形成とか。それぞれによって、またそこに対する働きかけが違ってくる。その辺も見据えながら、タクティカルに動いていくんだろうなということを言っている。
私自身もそういう意味では今、この一番左の先ほどの不忍池ではなくて、その中に入ったところ上野の歓楽街のことをやっているんです。長期的には地元の人たちは、今ちょっと風俗店の割合があまり多すぎて路面にも風俗の案内所が出てきていてもうこれは何とかしたい、と考えている。でも、これが一、二年じゃできなくて、かなり時間かかる話なんですけど、その中で将来的にこの真ん中の道を、やっぱり安心して歩ける道にしたいんだ、というのが長期ビジョンとしては持っている。それをどういうふうに考えていくかっていう時に……特に今回コロナの話もあったので、表向きの建付けとしてはコロナ占有の特例、コロナだから、お店が密にならないように、その前の部分を使っていいですよ、という制度を使って、「ほこみち」だとなかなか行政はかなり決断がいるんだけど、その前の段階の特例としてできる話があって、それをずっと去年からやっています。
商店街だったので、やっぱり商店街ならではのやり方っていうのがある。それは何かというと、街灯。商店会はそれぞれ商店街の事業で、自分たちの財産として街灯を持っていて、設置しています。私たちの取り組んでいるところだと三つの商店会が重なっていて、それぞれ違う街灯を持っていたんですけれども、その街灯が、せっかく商店街の持ち物だけど、これをうまく使ってここにテーブルをつけることで、ちょっとした滞留空間を生み出せないかと。1mの範囲というのが、このコロナ占有の大事なポイントになっているわけですけども、1mの範囲内で、そういうことができないかということで。ものすごくおしゃれなイメージをうちの助教の先生が、イメージとして描いてくれているんですけど、まあ、実際のものは手作り。ピザのお皿に穴を開けて、そこに普通にその辺のホームセンターにあるようなもので、何とか街灯にくっつくようなものができないか。で、それを作っていくってということをやっています。
タクティカルな動きって……思うんですけど、どこに行っても同じ……だいたい芝生を敷いたり、ちょっとしたパンフレット、どこに行っても同じようなパンフレットになる。やっぱり、それぞれのまちの持っているもの、その空間だったり、あるいはもっと社会的な状況もあるかもしれませんし、たくさんヒントがあるかもしれませんが、そういうものを使いながら、まず、やっていくということが大事。今ちょっと外飲み批判の中でできておりませんけれども、やってみると、先程の、ベンチに人が座ったというのと同じように、それをまた、パブリック・ライフ・サーベイなんですけれども、そこでの人の行動を調査して、そして繰り返しで、また次の段階へ。調査とアクションとの繰り返しの中で、次へと向かっていくっていうのがあるんじゃないか。
最後になります。
ここ、「カントリー・キルト・マーケット」だったんですけど、都市をキルトに例えている人っていうのが、何人かいます。私が一番好きなのは、枝川公一さん、もうお亡くなりになりましたけども、都市の評論家がいたんです。彼が70年代に出した『都市の歩き方』っていう本は、出だしが「都市はキルトのようなものである」というので始まる本なので、ぜひ皆さんには読んでいただきたいんですね。まちづくりにストーリーって大事だと思うんですよね。このビルの一つのストーリーとして、やっぱりキルトというのが、実はすごく大事なのかなと思っています。その時に、こういう本。彼は、まち歩きのこと言っているんですけど、まち歩きってキルトを作るようなもんだってこと言っているんです。まちにあるいろんなものを頭の中で再構成して、自分で都市像を作り上げるのがまち歩きだと言っているんです。
まさに、この場もそういう意味では、キルトショップからこういうものに変わりましたけども、キルトづくりっていうもののDNAみたいなものが、すごくこの場所の強みになるのかなと思いました。
あと、これも最後、皆さんの企画書の中で、「自分自身がその場で育っていく」ということがキーワードとして書いてあったんですけど、私も常々そう思っているし、今もそのことで「アーバニスト」という本も書いたんです。
「人が都市をつくり、そして、その都市が人を作ってくれる」って、これは田村隆一って詩人の言葉だけども、要は、我々はやっぱり西荻ってまちがあったから自分が出来て、自分が今度この西荻ってまちをつくっていくと、またその西荻っていうまちに影響を受けた、次のまちづくり人ができる、みたいなそういう循環関係がしっかりと出来て行くと、きっといいまちなんだろうな、というか非常にレジリエンスもあって、強いまちになるんだろうなと思っています。
きっとこういう場所っていうのは、そういう場所なんだろうな、と。この場所に来た人が、また、刺激を受けて、それぞれのまちづくりへと入っていく。一つの都市空間なんですけど、こういうまちの空間に地元の人たちが影響を受けて、その人が次へと向かっていくんだ、ということが、この現代のアウトルックタワーなのかな、ということで。
まあ、一行以外の言葉はですね、ちょっと詩人の難しい言葉なので、私もあんまり理解できないので、いいと思うんですが。
大事なのはやっぱり、我々は都市によって作られているっていうことなのかな、と。あるいは、まちによって我々自身がつくられているということをどう考えるのかなと思っています。
すみません、直接お悩みに全く答えていないような気がしているので、この後議論でなんとかフォローしたいと思いますが、私の発表としては以上になります。ご清聴ありがとうございました。
(第4回に続く)