2022年6月9日

インタビュー・田中良さん

投稿者: nishiogiorg

5月31日 19時 田中良さん 後援会事務所にて

伊藤)よろしくお願いします。今回は区長候補の方にインタビューということで、この目的としては、大学生の目線から区長に立候補される方にインタビューをして、若者が投票するにあたっての、判断の材料になればということで、今回インタビューを企画させていただきました。

まず最初の質問なんですけど、再選したらこれから重点的に進めていきたいことを教えてください。

田中り)3期12年やらせてもらって、さまざまな分野で、成果を示すことができたと思っています。それはもちろん私自身の力ということではなくて、まずはやっぱり区民の皆さんのご理解とご協力、これが不可欠ですね。

議会、皆さんのような区民の方の協力もそうです。それから、やっぱり役所の職員が一生懸命仕事をしてくれないと、できませんので、そういうみんなの力を合わせて、いろんな部分で挑戦してきたということで成果を示してこれたと思います。

まず区長として政策をお示しし、基本的にはその考え方に沿って、進めてきたわけですが、具体的に各論を上げるとたくさんあります。だから、むしろ皆さんが関心のあることについて、まずお尋ねがあるならお答えした方がいいから、その後、私が補足するような形の方がいいかなと思います。

伊藤)田中区長はこれまで、福祉の分野に力を入れてこられたと思うんですが、今後も施設の整備なんかも進めていくんですか?

田中り)それは必要なものはきちっと整備していきます。特に、子育てと高齢者、それが大きな部分です。もう一つは、障がい者。この三つが大きな福祉の柱という気がしますけど、子育ての関係で言うと、まずは保育園の問題が、4年前の選挙は大きな争点でした。4年前も8年前もそうでしたけど、杉並の場合はもう5年連続で待機児童がゼロということで、この待機児童を解消するということは、口で言うのは簡単ですけど、実際にやることはなかなか大変でした。

保育園を作るのも、こちらのペースで作れるとは限らないわけなので、作りたいところになかなか作れない。あるいは作らなきゃならない時間以内になかなか作れない。そういう多くの課題がある中で、待機児童をゼロにしようということで、これはやり遂げました。

施設を作るとなると、総論賛成各論反対とかよくあることで。まさにその保育園が作られる場所の地域では、少なからず反対があったし、場所によっては大きな反対運動があったっていうところもあります。それにはいろいろな要素があったわけだけど、ただ、しっかりやり抜いたってことも事実なんです。

子育ての部分では、もう「待機児童解消」は杉並区の目標にもなってない。「待機児童ゼロ」は、当たり前のこと。我々は保育で、これから力を注いでいくべきは、保育の中身ですよね。質の問題です。まずはそれを落とさず上げていく。

それから、障がい児の受け皿を拡充していく。これですよね。当然、園児が年齢を重ねれば、学童に上がってきますよね。ですから当然学童の待機者も、出さないようにしなきゃならないし、それから障がいのある子供たちがきちっと学童でも受けられるような受け皿を作ってということが大事です。

重度の障がい児になると、医療的ケアが必要ということになりますけど、そこもやっぱり力を入れていかなければなりません。全国初の医療的ケア児を受け入れてくれる保育園を杉並で作ったのですが、障がいっていうのはその程度の差がかなり幅広いので、一概には言えないのですが、その程度に応じた受け皿を拡充していくということは、これは大事なこと。進めていかなきゃならないと思っています。

伊藤)ありがとうございます。次の質問です。私は大学があるので杉並に来たんですけど、卒業後はまた杉並区から出ちゃうかなっていう感じで…。無理なお願いで恐縮なんですけど、私を杉並区に引き止めてみてほしいんです。こんな良いまちにするから、いた方がいいよっていうのがあれば教えていただきたいです。

田中り)引き留めるというか、杉並区は、人口が減少し、著しく過疎化している、というような状況じゃないので。地方の首長さんが自分たちの村とか町から若い人を転出させないように、引き留めようという切実さとは全く次元が違うと思うんだよね。

伊藤)はい、なので女の子が出産とか結婚とか仕事をしていったりとか、これから就職して働くときに、こういう住みやすさがあるよねっていうのがあれば教えてください。

田中り)若い人ね、若い人たちは、どうでしょうかね。仕事をやるようになれば、リモートとかねそういうのが普及していったとしても、交通の便とか、やっぱり生活の利便性っていうことをかなり優先的に考えるんじゃないかな。

結婚するという段階になったときに杉並っていうのはご存知のように、結婚して仕事もするとなると、それなりのスペースが必要になるでしょう。そうすると家賃もそこそこですよね。そうすると共稼ぎじゃないと、なかなか自分の望む生活が実現できない、生活空間を確保することはできないっていうようなところがあるんじゃない。だからそうなると、交通の便が良くて、買い物しやすくてみたいな、そういう意味で言うとそんなに不便なところはないと思います、杉並の中でね。

問題はそこから結婚して、出産っていうそういうところで、杉並だったら安心して子作り・子育てができるなと。というところはちゃんとやっていかなきゃいけないとこでしょうね。

伊藤)ありがとうございます。これまで杉並区では、原水爆禁止の署名の運動だとか、環境活動だったり、市民運動がすごく盛んなイメージがあるんですけど、こういう主体性のある区民性についてどんな印象をお持ちですか。

田中り)いろんな運動があるからそれの共通項というのが何かっていうのはちょっと私はよくわかりません。その原水禁の運動っていうのがあった時代、その時代の、背景っていうものは、今とは全く違うので、それを抜きには語れないと思います。

だから今も杉並区民がどうか、その当時と同じDNAを持っているかどうかっていうのは、そういう視点で僕はちょっと、感じたことはないです。

伊藤)私はこっちに来て初めて杉並の歴史みたいなのを知ったときに、そういう反対だとか、地域が一丸となって何かするみたいな出来事があったのをいくつか知って、それって杉並の市民力といえるんじゃないかなと。

田中り)良くも悪くも、そういうことはそういう見方は、あるということはあるけど。本当にそういう何て言うかな、区民の政治風土っていうのが、何十年も前の時代と、こうはっきり繋がってるかどうかっていうことで言うと、杉並だけが特に何かそういうことがあるのかどうかっていうのは、そこまで言えるのかどうかちょっと私はよくわからない。

原水禁の運動が起こった時代背景っていうのは、今と全然違うじゃないですか。戦後のまだ親だとか兄弟だとか、あるいは友達だとか、目に見える実際に知ってる人。そういう人たちが何人も戦争で亡くなって、まだ生々しい時代ですよね。空襲で家も財産も全て失った焼け野原。今のウクライナもひどいけれど。まさにそういう時代からやっと復興していこうと、とにかく日本をもう1回復興させようということでみんなが必死になって汗水流して働いてた時代で、戦争の生々しい記憶っていうのを抜きにはことは語れないんじゃないかと私は思います。

時代は確実に移り変わっていて、もう戦争の記憶なんていうのはもう完全に皆さんにはないわけですよね。私も戦後生まれだけど、親が戦時中の人だから、そのときの話ってのは子供の頃からもう耳にタコができるぐらい聞いてるし。変な話だけど、食事するときは黙って早く。子供の頃はそういう教育ですよ。今は食事をするときにコロナだからそしてね、黙食って言うんだけど、みんなで語り合いながらね、楽しく食事しようよっていう欧米のスタイルが当たり前になってるわけだよね。

我々は子供の頃はそうじゃないよね。仕事も忙しいし、早くだまって食事しろってね。今でも思い出すんだけど、なんか気持ち悪かったのはね、僕が中学3年生から高校1年生か、少しちょっと、はみ出したりするような世代があるじゃない。反抗期というかそういうときにね、晩飯のときに親父がね、今日はみんなで自分が何してるかとか、いろいろ語り合いながら食事をしようとか言い出したの、突然。気持ち悪くなっちゃってさ、どうしたんだ病気かなぐらい思ったよ。

うちの父は、やっぱり戦前の軍国教育というかそういうものをずっと受けて育った世代でしょ。だけど戦後の民主主義っていうものとかアメリカの民主主義とかね、そういうものに対する憧れっていうのをやっぱり強く持ってるわけだよね。自分が育った戦前のノスタルジーというのもあるんだけど、もう一つは、それだけじゃなくて、戦前の教育とか文化っていうものを、否定する気持ちと、その懐かしく肯定する気持ちとが混在してて、それで全く革命みたいに、戦争が終わって世の中が変わるわけでしょ。その革命みたいに変わっちゃったっていう、皆さんがどういうふうに想像力を働かせて、イメージするかだけど。戦前を肯定する気持ち、否定する気持ち、それから戦後のこの自由な開放感、自由なものを求める、またそういうものを満喫するっていう、そういう感覚とね、複雑に絡み合って混在してるんだよね。

そう、だからあの世代っていうのは最後までいろんな人がいたけど、どういうふうにそういう内面をいろんなことを見て評価するときに自分の価値基準とかっていうものを、持ってねそれがどういうふうに移り変わってきたのか。そういうものは人によってすごく幅がある気がしますよね。

伊藤)ありがとうございます。ちょっとまた勉強してきます。次の質問なんですけど、さっきの区長のお話もあったように、あの「子ども・子育てプラザ」があって、乳児を受け入れる体制ってすごい整備され、その後、乳幼児が育っていた就学後も安心して預けられる場所とか遊べる場所って、これから増やしていくんですか?

田中り)もちろんです。今まで、今回の選挙でも前回の選挙もそうなんだけど、やたら児童館を潰して子供の居場所を奪ってると、そう思い込んで喧伝してる人たちがいるわけ。でも実際には、児童館というのはいくつかの機能があるわけなんだよね。その乳幼児の居場所、それから学童クラブ、それから放課後の居場所、というのが大きな機能で、ただ児童館というのは、18歳までの子供たちを積極的に受け入れるって位置づけられているものだから、そういう運営をしなきゃならない、そういう制約があるんですよ。

だけど中学高校生で児童館に遊びに行く子供ってのはゼロじゃないけど、せいぜい一館で1人とか2人なんですよ。時代が移り変わっていく中でそういう中学生高校生のニーズは、多くないわけですから、ゼロじゃないけども、ほとんどない。それに比べて乳幼児だとか学童クラブだとかの需要っていうのはものすごく増えてるわけです。それに応えられるようなスペース、サービスの提供をもっともっとスピードアップしていかなきゃならない。だけどそんな児童館という建物を、どんどん増やしていけるわけではないですよね。

そんなことは財政的にも無理だし、土地等の物理的にも無理でしょう。ある意味で保育園より大きい建物を作っていくなんていう、そんなことは無理なんですよ。用地を確保することからスタートしたらって。保育園だってどれだけ大変だったか。

今は国の制度をつかって民間の保育園を作っている。直営の区立保育園をつくるのは、極端に言えば10倍ぐらいのお金がかかるんですよ。だからそういう一つのシステムの中で、我々は貴重な税金を効率よく使って、必要なサービスの提供を進めていくっていうことが、やらなきゃいけないことでしょ。

だからそういう意味では、高校生中学生には悪いけど、そこに居場所がなくなったからといって、中学生高校生が致命的な打撃を受けるということはないと思うんですね。それよりも乳幼児とか学童、あるいは放課後の居場所、こういうものをきちっと作っていかなきゃならない。

それで、学童クラブは、小学校に移せるところ、小学校に作れるところは、小学校の学童クラブを持っていく。それで今までの児童館では、乳幼児は例えば午前中だけしか使えない。午後はいろいろ学童がくるから。だけど、子ども・子育てプラザ、いつ来てもいい場所がありますよってやったら、なんと今までの5倍ぐらいの利用があるわけでしょ。つまりそういう潜在需要っていうものに、今まで応えきれてなかったっていうことに対して、その児童館廃止してなんだかんだっていうよりも、そこについてあなたたちはどうするんですかって。ということじゃないのと僕は思います。

だからそういう潜在需要がある放課後の居場所だって増える。そういう潜在需要が児童館再編をしていったら、どんどんどんどん掘り起こされてるわけですよ。それに対応していくことが、我々は大事なことだと思ってる。

伊藤)ありがとうございます。
次の質問です。実は廃止になった児童館でアルバイトをしていて、その時やっぱり人手が足りなさそうに見えて。児童館に限らず、保育園、学童とか子どものケア、専門的な知識がある正規雇用の職員を増やすのって難しいことなんですか?


ここから撮影していたスマートフォンが不調のため映像の記録がありません。田中良さんの許可を得て、メモをもとに書き起こしたもので回答に代えさせていただきます。

田中り)

保育も、高齢者とか、障がい者とか福祉的な事業、いろんな施設を民営化していっているけど、そういう事業に従事するのは必ずしも区の職員でなけれないけないということは無い。民間でもとてもいい事例なんかもたくさんある。もちろんすべてを委託事業にしようというつもりは全くない。区営の保育園、子どものための施設はしっかり残していくつもり。そうでなければ、委託先がいいこと、または、悪いことをしているのか評価する力がなくなってしまう。そこはきちんと維持していかなければならないと思っている。

伊藤)家賃が高くて生活が苦しいです。再開発が進むと家賃が高くなるって聞いたんですけど。西荻も高くなりますか?

田中り)

再開発に私が関わっていると喧伝する人がいるけれども、それは全くのフェイクニュースです。再開発は、民間がやるものだから、そこは区としてはどうしようもない。

伊藤)今、西荻窪駅周辺まちづくりミーティングをやっているじゃないですか、あれは、街の更新にあたって、区が住民と一緒に街のこれからの方針を決めていくものじゃないんですか?

田中り)

それはどこの自治体もやっている、まちづくり方針というのは、どこでもつくるものだから。街は生き物、たえず変化していくものなんだから、こうしろといってどうにかなるものではない。ただ、火事で燃えたらとか、老朽化とか、地震が来たらとか、災害に備えて街を更新していかなければいけない。

現に、西荻の区民事務所も今年の初めに耐震の検査をしたら、耐久性が基準を満たしていなくて、非常に危険なことがわかったのですぐに移転した。そういうことがやっぱり今後も出てくる、街の安全のために、いくら魅力的な街並みがあるからといってもそのまま残していくことはできない。


(映像記録復帰)

田中り)あなたたち若いから、僕は聞いてもらいたいんだけど。山手通り見てる? 山手通り、地下鉄の大江戸線が地下に走ってるんだけど、一部ね。中野通りを1本新宿よりですよ、中野坂上って知ってる? 中野坂上は、青梅街道と交差するでしょ、あの通り。トンネルになってる。あそこの道路とか、それから放射5号線で知ってる? 放射5号線というのは同じ杉並で青梅街道をずっと南の方に行きます。そうすると、中央道があるでしょう、首都4号線と中央道があって、そこは交差点のそれを右にずっと上がってくんです。車で右折はできないんだけどね。そうすると、中央高速の下、ずっと今道作ってますから。久我山の方にずっとそれが伸びていたの。で、それが放射5号線と言うんだけど、そういう玉川上水があってね、そういった最近できた道路ね、道路を語るんだったら、まず勉強だと思って、見に行ってごらん、そしたら僕の言ってることがわかるから。放射5号線も反対運動があったんだ、長年。僕はその反対運動をやってる人をよく知ってる。

ただ、そういう人たちが最後にたどり着いた、到達したのは、最初、幅員50mの計画だった。だけど、それでは自然を守れない、自分たちの生活を守れないっていうことで、幅員を60mにしてください。こういうことだったんだよ。

昔と真逆なの。高度成長期には幅員を押し返そうと、それが住民パワーの一つの示す物差しだったの。今じゃ本当に環境に優しい道路とか、そういうものを考えたときに、将来のことを考えたとき、もうあと10年20年30年したら、排気ガスなくなるわけでしょ。騒音もなくなる。騒音がなく走る車が危ないっていう時代に入ってるんだから。だから、どういう道路がいいかというとやっぱり幅員を広くして、歩道をたっぷりとって、今まだ排ガスとか騒音とかがあるけど、その緩衝帯の大きな花壇を作ったり。自転車の走路とか、ランニングの走路とか、そういうものをちゃんと作ってね、幅を広くして。

玉川上水って知ってる? 太宰治が身を投げたとこ。そういう道路になってるんだから、道路を語るなら道路の歴史を一緒に勉強したらね、そんな何でもかんでも反対、反対なんていうねステレオタイプのそんなくだらん議論に付き合ってる場合じゃなくて、いろんな道路、みなさんが足で見に行ってさ。

まちづくりっていうのは、道からなんだよ。

道がなければ、いい街はできない。

伊藤)そういう他の道路を勉強する会とか区でイベントとかやってほしいですよ。

田中り)そうだねやりたいね。

だから、今回ね、僕は改選を迎えてるけど、杉並区政は今年の秋で90周年なんですよ。今年、語り継ぐべき杉並の歴史(区長が語るすぎなみ5ストーリーズ)ということでいくつか取り上げてる、その一つに内田秀五郎さんという人を取り上げてるの。

内田秀五郎さん知ってる? 内田秀五郎さんを勉強したらいいよ。

伊藤)この辺の土地区画整理をした。

田中り)そう、東京女子大学行くでしょ北口で、右側に公園があるでしょ?

伊藤)善福寺公園?

田中り)その女子大に行く通り、伏見通りだっけ、その途中の商店街にさ、公園があるの知ってる?なんていう公園だったかな。

伊藤)西荻北中央公園?

田中り)そうそう、そんな名前。そこの、公園の北側に内田さんていうでっかい邸宅がある。元々もっとでっかい土地を持った農家だったけど、30歳だったかな、当時、井荻村の村長になった。そういう人がいる、そういう人がなんで語り継ぐべき人かっていうとね、いろんな功績を持ってるんだけど、中でも有名なのが道路整備。杉並は四つの町が合併した、そのうちの一つが井荻村。その全村で、区画整理事業をやった。それで、道路を碁盤の目のように、全部。航空写真の杉並を見ると、その旧井荻村のとこだけは整然としてるんだよ。

そのおかげで今、どういう便益を我々が受けてるかといったら、首都直下地震が来たときの災害被害シミュレーションっていうのを作ってんだけど、他の地域と比べると著しく被害が軽減される。例えば今、日常の暮らしの中で言えば、火災があっても救急車・消防車がほとんどの家に入れる。それからもう一つは、清掃自動車ですね。パッカー車っていって、家のゴミを入れたら、圧縮して持ってくんですよ。あれは2トンぐらいの車だけど、ところがあの車が入れない細い道がいっぱいあるんだよ、杉並区には。そういうところはどういう車でゴミ拾ってるかっていうと、軽自動車トラックあるでしょ、あれに積んでるんですよ。あれのだいたい6台分ぐらいが、パッカー車1台に入っちゃう。何を言いたいかというと、軽自動車は2人で運行してるんですよ。6台だったら12人職員が必要。1台のパッカー車は3人で運行してる。つまり12人の仕事を3人でやることができる。

道路がしっかりしてれば、それからさらに言えば、今、大体朝の9時前後ぐらいの時間帯ね、街を歩いてごらんなさい。一番出くわす車は、デイケアサービスの送迎車ですよ。それがね、玄関に車がつけられない場合では大変なストレスなの。運ばれる方も運ぶ方も、それからそこに出くわす、地域の人たちの車にも。

旧井荻村の道はピタッとつけられる。あとは例えばパトカーの巡回も入れるとか、すぐ宅急便もすぐ来るとか。だから内田秀五郎さんがやった、そういう道作りっていうのはね、本当に後の中で大事なことなんですよ。

それを当時、いろんな反対運動があった中で、やり遂げた人。それが、90年経ったら、我々に素晴らしい街を残してくれた。つまり、そのときそのときのエモーショナルなことだけで、政治ってのはやるべきではない。 

将来のことをちゃんと見据えて、そして例えば反対があったとしても、これは将来のためになると思えば、やっぱりその責任を背負って、体を張って頑張るという精神がなければね。政治の仕事ではいい仕事は残せない。反対があったら立ち止まって考えるってのも一つの理屈、当然立ち止まって考えるよ、だけど、ずっと立ち止まってたら、将来に何も残さないでしょ。やっぱりそこはよく考えて、やるべきことをちゃんと自分の世代でやるっていう世代の責任というのをちゃんと果たしていくってことは、大事だと。

伊藤)ありがとうございます。ちょっと今のお話とも重なるんですけど、私はお話してくださったように、その西荻のバス通りっていうのをすごくよく通るんですけど、私はそこに権利があるとかでは全くなくて、単に通行人でしかないんですけど、通行人としての意見も重要なんじゃないかなと思っていて、通行人としての意見を道路の進め方みたいなのに反映してもらうにはどうしたらいいんですかね。

田中り)通行人も通行しない人も、みんないろんな意見を言って多いに結構ですけど。

伊藤)何か今の沿道まちづくりミーティングみたいな、行われてるじゃないですか。それだとやっぱり対象地域じゃない人は意見が言えないみたいな感じになってるような気がしてて。

田中り)それは僕、ちょっとわかりませんけど。都市計画道路っていうのはね、もう何十年も前から計画されてるわけですよ。知らなかったっていうのは嘘ですね。知らないはずがないんですよ。そんなのだってもう、登記簿に何でもちゃんと出るわけだ。公的なものは皆明らかになってますから、知らないということはないですよ。知らない知らないということを、行政が悪いっていう責任転嫁する議論っていうのはこれはちょっと無責任だと思う。

伊藤)都市計画道路があるよっていうのは、やっぱり沿道の人はちゃんと見るじゃないですか。お知らせも行くと思うんですけど、でもそこからちょっと離れてるけど、ルートとしてはそこを使うよっていう人とか。

田中り)もちろんです。だから、今の時代の、利用者にとってみれば道路工事、しなくても多少の不便を感じないという人にとってみれば、なんでそんなことやるんだっていうふうになるのは、それは理解できますよね。

伊藤)私もそんなに(強い)反対の気持ちがあるわけではなくて、自転車が通りやすいとか、好きなお店はのこしてほしいとか、やっぱ何かベンチとか、置いたりとか、ここだけはちょっと広くてすれ違いができたりとか、緊急車両が通ったりとか、でもここにはちょっと出っ張ったお店があるみたいな、何かそういうでこぼこの道なんかも面白いんじゃないのかなと思ったりとかして。

田中り)面白いかもしれないけれども、そういう住民合意はまず非常に難しいと思いますよ。何でそこだけそういうことができるのって、言われたときどうやって説明するの。面白いなっていうのは面白いかもしれないけど、それは伊藤さんは面白いと思うかもしれないけど、伊藤さん以外の、別の人はなんで伊藤さんのとこだけこうなの。おかしいじゃないって言われたら、伊藤さんなんて答えるの。あるいは行政側として、なんであそこの家だけはああなってるの。公平・公正じゃないじゃないか、おかしいじゃないのって言われたら、答えようがないじゃん。

伊藤)やっぱり自分の財産としてここ土地を守りたいっていうことと、もう手放したいっていうこともあるじゃないですか。それに寄り添った形で、何かもうちょっと時間をかけて、みんなの納得を……合意までいかなくても、何か、こういう道路ならいいよねぐらいの納得が生まれるのがいいのかなと思っていて。

田中り)どういう道路を作りたいかっていうのはそれは話し合って、それこそまさにそのこれだけの必要な幅員があるいはこういう目的で、こういう規格の道路は必要だよっていう合意の上で、その上でですよ。最低限その上で、どういう道路にしようかっていう議論だったら、大いにやったらいいですよ。うん。だけど、そこに絶対反対だっていう人が入って、そんな議論にはならないでしょ。そうだよ。非常に難しいと思うんですよ、そういう議論は。

道路ってね、さっき言ったけど、その30年後のまちづくりってね、29年後からスタートして、できる話じゃないわけですよ。5年6年でもできないんですよ。20年30年かけてやっとできることだ。この道路だってそう。いきなり、来年、再来年全部できるはずがないんですよ。

だからこそ何十年も前から都市計画道路というのは、線だけがあって、私権制限を入れながら、それで10年に1回、どの計画道路を事業化していくかっていうことを、東京都が決めていくわけでしょ。もちろん我々との事前の話し合いとか、キャッチボールがありますけどね。

まちづくりっていうのは、簡単に「そうだな、ああだな」って、割と短時間でできる世界もあるけど、簡単に言えば、そういうところは私権がないところですよ。中野の駅前とかね。早稲田大学とか明治大学とか、平成帝京大が来たり、キリンの本社がきたり、あそこは全部国有地だから、役人が線引いてここにこれ、ここにこれこれやろうねと。簡単にできちゃうんだよ、10年で。臨海副都心だってそうでしょ。お台場の4407ヘクタール、あそこは全部都有地だから、簡単に街ができちゃうんですよ。

だから、こういうところにはそれぞれ権利がある。地べた持ってる人もいれば、借地権もあれば、その借地権だって、旧法の借地権の場合もあるし、定期借地の場合もあるし、いろんな権利が錯綜してるわけです。都心とも違う、都心は大資本、全てが大資本中心で経済合理性、最優先で動いてるから、だから行政も、調整しやすいわけですよ。ところが、経済合理性だけじゃなかなか動かない、こういうところ、だから難しいんですよ。だから時間がかかるんですよ。だから、いろんなアイディアがあるかもしれないけど、そんなもんね、6年で物事ができるわけではない。

僕は結果的に、反対運動をしてる人っていうよりも、その当事者の方々ね。今おっしゃったように、その計画線上に自分の土地があるとか、家があるとか、生活があるとかいう人たちに対しては、はっきり言えることはね、やっぱり道路の必要性ということを我々も努力して、理解を求めて説明を尽くしますけど、それについては、何とかご理解をいただいた上で、その上で、それぞれの生活権利をどういうふうにしようか、ということのご相談だったら、本当に組織を挙げて、私は対応します。ただ絶対反対と言われたら、そこから入っていけないわけだから。みんなが反対しているんですよっていう、これ嘘。皆が反対するとかはあり得ない。それぞれが置かれてる状況が違うから、それぞれじっくり話していけば、自分たちが抱えている家庭環境も違えば、経済状況も違えば、将来の人生設計も違うんですよ。しかも家族の中でだって、いろんな違う意見がある。それは普通ですよ、今のね。

だから、そういう人たちをむしろ、戦え戦えと言って煽ってね。反対の反対だっていって、どんどん反対運動に引き入れていって、やれ、これを反対すれば、この計画は止まるんだみたいな、幻想を抱かせて、時間を引っ張って、やれ選挙手伝ってくれ、やれ最後にやったらいいじゃないか。そうやって時間と労力を、費やさせて結果的にはそういった政治的な一定のを同和性を持った人たちの勢力を伸ばそうとする運動に絡められて、いろんなことを奉仕させられて、結果的には、何もその人たちには還元しないし、気付いたときには、みんなが反対の子じゃない、それぞれ個別の事情で、収用に協力してくれる人たちが、だんだん増えていくと。

どこにでもある風景ですよ、それ。だったら早く、ご協力をいただいて、次の人生、そんな反対運動とかね選挙運動とかさ、裁判だとかさ、なんかそんなことに絡められるんじゃなくて。次にどういうふうにしたら一番いいかなというようなことだったら、いくらでも我々は、役に立てることがあれば、全力で相談に応じるし、協力もします。だから常にリップサービスがいやだから。そういう人たちはそういうの。結果的に利用されて、時間も体もね、疲労させて精神も疲れて。結果的には何も残らないでしょう。それで10年後20年後って、勿体なくないですかって、後悔はないですかって。

それよりも例えば、僕なんかは本当にある程度したらステレオタイプもそんなことばっかりじゃなくて、例えばね、台湾に行ったことがある? 台湾の町並みとさ、日本の街が違うでしょ。僕が行ったとき感じたのはこういうこと。例えばね、日本ってさ、道路に歩道があり、例えばガードレールがあって歩道があるよね。それで、歩道の幅員が決まってて、そこから住宅とか店とかさ、あるわけだよ。台湾に行ったとき面白かったのが、道路にわりとひっついて建物が建ってるわけだよ。結構高い建物が。でもそれが、ピロティになってるわけだよ。一階が歩道になってるわけですよ。道路あんでしょう。普通道路があってこっちが車道でもこっちと、こちら道路の日本はここから歩道があって、ここから建物が建ってる。大変じゃない道路。それで僕はピロティの柱があって1階の空洞が歩道になっちゃう。あるいはちょっと歩道があって、ずっとピロティになって、アーケードみたいな感じだよね。それでお店があって、そのお店がもう、台湾って暑いからさ、クーラーも効いてるけど、割とあけっぴろげなところもあって、その要するに屋根付きの建物の下の歩道みたいなところに店が出てたりとかしてるわけ。道路とぴったりだと、トラックがぶつかったとか、ビルが倒壊したら大変だなとか心配をするけど。

土地が少ないから、日本よりもいろんな工夫をしたり、価値を作ったのかなと思うね。どういう法体系でああいう風になったのかなと、ちょっと興味あるけど、ぼくは専門家じゃないからそれ以上わからないけど、日本だって例えば狭いから、商店街を残したいってことであれば、どうやったら道路と商店街を残すということを両立させられるのかなって、そういうことをもっと考えたらいいじゃない。そういうことを議論してさ、熱くなるんだったらいいよ。だけど、反対運動の本音っていうのは、そういうことを考えたい人、そういうことを議論したい人の議論を封殺するような誘導をして、とにかくステレオタイプに反対なんて反対なんだっつって、先鋭的に反対争点を作り出すことによって、目的は自分たちの党派的な利害を膨らましていこうということだと思うんですね。そこに引っ張られて何十年も時間を無駄にしちゃうのは、これは勿体ないなと思うんだ。僕は率直に言うわけで、僕はこういうふうに言うから、あの暴君だとか、独裁者とかっていわれる。さらに彼らは批判するけど。

いやあ、その人たちの暮らしなんて、彼らは本当は何も考えないんじゃないかって僕は思いますよ。極端に言うとね、面白がってるだけなんじゃないかと言いたくもなるよね。

伊藤)ありがとうございます。ちょっと最後にインタビューのテーマでもあるんですけど、選挙に関心のない若者にちょっと一言いただきたいです。

田中り)そうだな。

伊藤)政治に関心がないというか自分たちの生活が選挙や政治と、直結してないと思ってしまうというか。

田中り)そう、それってさ、割と普通なんじゃない。だって、何か不満がある?むしろそういう人のほうが関心もつと思うよ。自分が豊かで、ま、多少不平不満はどんなことや、どんな人でもあるかもしれないけど、自分が豊かで、そんなにそこそこ、なにも困ってない。

伊藤)だから就職失敗したりとか。もしかしたらフリーで仕事するかもというときに、生活保護の話とか聞いてると、受けられなかったらどうしようと不安になるんです。いまコロナとかですごい不安定じゃないですか。もし就活失敗して、どうやって暮らしてこうみたいな。

田中り)それは人それぞれ。だからどんな大きな企業の社長でも、今みたいで急に円安になっちゃったり、資材が上がって、ガソリンが上がったとか、すごく影響を受けて、瞬く間に赤字転落するとかさ。ていうことがあるからね。いろんな立場の人たちで、いろんな苦悩がある。これはいつの時代でもあると思います。

自分の努力が足りない、あるいは自分の選択が間違ってた、判断が間違っていたっていうこともあるかないか、人それぞれだし、社会的な大きな流れの中で、それをかぶってしまってるっていうことも、あるかもしれない。人それぞれだよね。だから、そういう中で政治に関心を持つ、どういう立場で関心を持つのか、こんなクソみたいな経済政策とんでもないと思う立場の人もいるかもしれないし、今おっしゃったように福祉的なセーフティネットとかそういうところを、もっとちゃんとやった方がいいんじゃないかって思う人もいるかもしれないし。

いろんな政治に対する関わり方があるから、一言で若者たちにって言われても……僕もかつて若者だったけど。無関心どうですかって言われたときに、むしろ僕は若いときは、いわゆるその当時言われた一般学生とちょっと違った生活をしてたからね。

伊藤)どんなきっかけで政治に関わろうと思ったんですか?

田中り)大学入ったときがちょうど1980年、昭和55年でね。この年はね、何があったかっていうと、韓国でね、光州事件というのがあった。それ知ってる? 光州事件ってしらない? 韓国の映画とかあんまり見ない? 映画にもなってるんだけどさ。金大中って大統領知ってる?

伊藤)タクシー運転手のやつですか?

田中り)『タクシー運転手』見た? まさにあの時代だよ、僕が大学時代のときね。朴正煕(パク・チョンヒ)さんっていうね、朴槿恵(パク・クネ)さんって大統領がいたでしょ、朴槿恵さんのお父さんっていうのは、軍人でクーデターを起こして政権を奪取した人。当時の南北対立ってのはかなり軍事的にも非常に厳しい対立だったんだけど、だから戒厳令を敷いてね、かなり独裁的に韓国を統制してたんだよ。その人が自分の元部下だった、KCIA(大韓民国情報中央部)の部長に暗殺されるわけですよ。それで、その独裁者がいなくなったんで、大統領選挙がやれるぞっていうふうになって、一瞬「ソウルの春」っていうのがあったんだけれども、そういう民主化しかけたときに、今度は全斗煥(チョン・ドゥファン)っていう軍人がクーデターを起こして、全権掌握した。

そういうことがあったんですよ。ただそれに対して反発した学生による学生運動が各地で起こってね、光州っていうところでね、大暴動が起こったんだね。それでそれを軍部が行って、かなり何百人か何千人が殺しちゃったんじゃない。天安門事件って、見たことあるでしょうニュースとかで、あんまり知らない?

それからね、9年後が天安門事件なんだけど、天安門事件もっと凄まじいんだよ。戦車で学生ひき殺しちゃうんだから。だからそういう時代があったんだよ、私は若い頃はね、その軍事クーデターか、軍部が虐殺したそういう事件があった、学生たちをね。

金大中という元大統領候補は日本から拉致された。ホテル・グランドパレスっていう九段下にホテルがあったんですよ、もう営業してない、やめちゃったのかな。そこにいたのに、亡命してたんで。そこから、KCIAが拉致しちゃった。それで結局は自宅に戻されたんだけど、金大中の拉致事件も映画になってる。ちょっと中身は脚色があるけどね。でも、そういう拉致があったのは事実で、それを金大中さんのせいにしたんだよね。その光州の暴動を起こしたのは金大中のせいだっていって。それで金大中に死刑判決が下ってね。日本でも金大中を殺すなっていう市民運動があったりなんかしてさ、それが僕の大学1年。僕の周りは学生運動やってる人が結構いっぱいいてね。

僕は明治大学出身。明治大学は当時、今そういうのないけど、当時は新左翼の拠点でね。そういう人たちがなぜか俺の周りにいるんです。俺はどっちかと言うと、固まった考えが何もなくて、先輩に連れられて、大平総理が選挙中に亡くなった「衆参ダブル選挙」が行われたのが、昭和55年、1980年。菅直人さんが初当選した時ですね。そういうときにもう自民党の選挙の手伝いとかさ、付き合えよって言われて、1年生のときね。帰ってきたら学園が、何かいろんなことがあってさ。俺はそれでまた、別の先輩に言われて、あのデモや集会や、そういうところで人が足りないから来てくれと言われたし。

俺もね、付き合いがいい男だったんだ。政治家の考えがどうとかじゃなくて、多少体が大きかったから、デモのときは、機動隊とぶつかる一番外側に入らされてさ、大したデモじゃないから付き合ってくれよって言われて行ったらさ、大したデモじゃないどころじゃないんだよ。ヘルメットかぶらされてさ。それで機動隊とぶつかるところにさ、ちょっとさ女の子とかいっぱいいるじゃん。しょうがない、守んなきゃいけないとか思うじゃん。別に左翼でもなんでもないんだけど、やっぱり機動隊がぶつかるとさ、すごいんだよやっぱり機動隊って、訓練されてるから、平和の行進なんてないから。もうボキボキ入れてくるから、向こうだって防具つけてるからさ。

こっちはただスニーカーはいてさ、やってたから、ぼこぼこされるとさやっぱ「このやろう」と思うよね、人間て。敵意が湧くじゃない。憎悪がわくじゃん。俺、何もしてないのに何で警官に殴られなきゃいけないんだろう。それでもうバンバン盾で足とかつぶしてくるから。で、デモ終わって大学に帰ったらさ、爪が割れてんだよ。

そんなことがあったんですよ。だから、僕はそういう意味では一般学生とは違うね。早々とその翌日にはまたさ、別の先輩に連れられてさ、あちこち出されたりしてね。ただ僕は、よくわからないから自分の目と耳と体で感じてみようって。自分がどういうふうに感性が反応するのかなっていうのもちょっと興味があったりしてね。それからやっぱり、誘ってくれた先輩との人間関係だったよね。

あの考え方、同調はできないけど、この人いい人だなと思うとさ、ずっと付き合って今でも付き合ってる人いるけどさ、そのうち彼は考え方が変わって、資本主義の亡者みたいに一時なったような気がするんだけどさ。

面白いね。「三里塚」とか言ってた人がさ、資本主義の亡者になっちゃってさ。だから、人間っていうのはさ、考え方も変わるし、自分の環境が変われば変わる。だからあんまり決め付けて考えない方がいい。若い人はもっといろんなものを見てさ、勉強してさ、ね。

伊藤)選挙も一種の経験だと思うのでちょっと最後に投票行きなよ的な一言をいただけると。

田中り)ほら投票行くか行かないか、だから、何ていうの、AKBだっけ? 総選挙であれとは違うから、だから、ちゃんと真面目に考えて。選挙っていうのは、行く行かないっていうより選挙を通じて、考えてもらうことが大事だと思う。

何も考えもなく、一票を投じる、それも一票。考えて投ずるのも一票。でもその一票っていうのは政治に反映されるということは間違いない。全てじゃないけども、その意思の表示として、間接民主主義だから。選挙っていうのは民主主義にとって大事なのは、その期間に国民の前できちっと議論するってことだな。ちゃんときちっと議論をして、何についての賛成か反対か。あるいはいろんなものについての評価こういうものをやっぱりきちんと議論をする。主導的立場に立とうとする人の議論を、有権者が見て、そして有権者もその議論で学ぶ。

これの行ったり来たりで、どこまでそういうことが民主主義というものを成熟させていくかっていう、そういうことだと思う。だから単に一票入れたらいいんじゃないのとかさ。昔は投票に行けとかっていうふうに言ったけど、なんかそれも軽いなと思ってさ。要するに大事なことっていうのは、そういう議論を、最近よくいけないのはさ、もう本当、最近の野党って駄目だと思ってるんだけど。僕もね都議会時代は民主党にいたんだけどさ、石原慎太郎さんとはずいぶんやりとりやったよ。本当にそれはあの当時を知ってる人は知ってるから。

だけど、なんつうかな、単なる揚げ足取りとか、単に相手のイメージを傷つけようとかさ、フェイクも含めてね。僕なんか、ちょっとそれやられてるけど。あんなのを聞いてて、不愉快になるだけでしょ。そういう人は大変だと思うの、であの論争てのは、例えば僕も都議会いたときは、共産党の論客がいてね。あの木村ようじさんっていう人がいたんだけどさ、ベテランでね。僕は1期生のときにはね、初めての委員会でね、なかなか論客なのよ。で、その人の議論を聞いてると勉強になった。僕は共産党じゃないけれども、議論を聞いてると勉強になるっていう。それが民主主義にとって大事だよ。有権者に対して勉強になるっていう言い方、ちょっと上から目線的なところがあるから、ちょっとあんまり好きな言い方じゃないけど、お互いが有権者から我々も学ぶことがある。すごいなと。

僕なんか、それを政策に反映しようとするんだけど、我々(政治家)は一般の人たちからさ、「なるほどそういうことなのかな。」「本当にそうなのかな?」でもいいけど。何か選挙を通じて自分たちが学べるっていうか、そういうような議論をお互いに展開するっていう志がなければいけないと思うのね。単に相手の票をおとしてやろうとか、相手のイメージをおとしめてやろうとかみたいな。そんなことばっかり終始してるの最近の野党は、本当に低次元で良くない。どんどん民主主義のレベルが下がってるでしょ。良くない、とおもう。だから僕は論争だったらいくらでも応じますよ。だけどそういう単なるネガティブキャンペーンみたいなのさ、よくない。だから僕の陣営はネガティブキャンペーンはしません。

そういう意味で、ちゃんとした政策の打ち返しはするけど。

伊藤)はい、ありがとうございました。また勉強させてください。これでインタビューは終わります。ありがとうございます。